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シネマルナティック/シネメカニカ

詳細データ

上記データは2013年時点のものです。

シネマルナティック物語

シネマルナティック

「良くも悪くもシネマルナティックは私の映画館」と、本「映画館のつくり方」で紹介されている「シネマルナティック」。代表の橋本達也さんが一人で営んでいる映画館です。

生まれ育った松山で、私の好きな映画を映画館のスクリーンで見るために作ったとおしゃっておられる。
そうお聞きすると、熱き映画人をイメージされる方が多いと思いますが、直接、お会いするととても淡々としていて物静かな方でした。

大衆演劇の劇場も入っているビルの2階にあり、映写室は3階。橋本さんは、2階と3階を走り回る毎日を送っておられます。

橋本さんが映画と関わるようになったのは、「フォーラム松山」という市民出資で映画館を作り、なかなか地方では見られない映画を上映していくという新聞記事を読んだことから始まります。
1992年スタッフとなり、映画館の運営業務を学んでいきます。けれど、残念ながら「フォーラム松山」は2年で閉館になってしまいます。当時、支配人になっていた橋本さんは、閉館業務も体験します。2年間で学んだことと自己資金130万円で、一人で始めたのが「シネマルナティック」。
2005年に、商店街に近い場所に移転して現在に至っています。


映写機物語

シネメカニカ

詳細データ

  • シネメカニカ
  • シネメカニカ(イタリア)
  • 1989年(推測)

取材した中で唯一の外国製(イタリア製)の映写機です。
前の映画館が使っていたものを、そのまま、使用しているそうです。ランプハウスから推測して、1989年製ではないか、と言うのが、映写機マニアの永吉洋介さんの推測です。

本編が終わると、お客さんを見送り、映写室へ走って、予告編の上映準備をして戻って、もぎりをして、予告編を上映をし、絵と音をチェックし、今度は本編の上映のために走り、またまた絵と音をチェックし・・・と、走り回る橋本さんを応援したくなる皆さんの気持ちがわかる気がしました。松山を離れてからも応援している方もおられて「シネマルナティックを守る会」もあります。
少しぐらいの映写機の不調なら、自ら調整もされるそうです。

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